今日の勿来高校

巡り会い・・・

2020年10月13日 08時30分
学校生活

10月9日(金)、台風14号が接近中です。曇天の空の下、覆い尽くす雲を払いのけるかのように、颯爽と1年生が“職”体感ツアーに出かけていきました。

本校は、1,2年生が県内の企業を見学します。さらに2,3年生がインターンシップに赴きます。

今年は感染症の影響で計画通り進まないこともありますが、進路活動の一環として、職業意識を高めることにつながっています。

 

ところで職業をさす単語について、英語(job)ドイツ語(beruf)では少し意味内容が異なると言います。

後者には生きるために自分の時間と労力を提供して対価を得るという以外に、天(神)から与えられた使命という意味合いも含んでいると言います。

この違いについては19世紀のドイツの学者マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に詳しいそうです。

彼はドイツ語の聖書では職業を「ベルーフ」と訳していることから、その論を展開します。宗教改革の端緒となったマルティン・ルターが聖書をラテン語からドイツ語に訳します。

その後フランスでドイツの動きに影響されてジャン・カルヴァンが「予定説」として人間の生涯は生まれながらにして決められていると唱えます。

 

つまり、ある職業をすることは天から与えられたことであるから、励まなければいけないという考えにつながります。

 

私は長く教員をさせていただいています。なってよかったと思います。それが「job」なのか「beruf」なのかは分かりませんが、「縁」だと感じています。

この職業を通じて巡り会った人々のお陰で、日々の充実感が味わえるのだと思います。

どのような職業に就いても、人との出会いを大切にしたいものですね。

全てが学びにつながる・・・

2020年10月12日 08時30分
学校生活

10月8日(木)テストが終わりました。答案が返されるたびに、教室内がざわつきます。結果に一喜一憂することなく、何が必要とされるのか、考えるきっかけにしましょう。

 

今日は2年生「数学A」の授業に参加しました。先生は、模範解答を配ります。簡単な解説を加えた後、答案を返却しました。子どもたちは間違った問題をノートに写します。

その際、問題も一緒に書くように指示します。問題文が何を求めているのかを再度確認させるためです。

最小公倍数なのか、それとも最大公約数なのかで、途中の式も変わってきます。ゴールが違えばルートも違います。それを気づいて欲しいのです。

 

子どもたちが間違い直しをしているときに、先生がナイロンひもを一人ひとりに手渡します。これまでファイルしたプリントをはずしてひもでファイリングし直す。

なぜそのようなことをしているのか、授業の後先生にお聞きしました。「ファイルがいっぱいだから」だそうです。先生は毎回プリントを配ります。

黒板の文字や図をノートに書き写すことを省略するためです。教えたいのは計算の過程や図の分割の仕方だからです。

さらにプリントを整理する過程で、これまでの学習を振り返ることができます。復習まではいきませんが、これまでの学習の軌跡をたどることで、授業に取り組む姿勢を見直すきっかけになります。

 

数字や図形に取り組むことだけが勉強ではありません。書き写したり、整理したりすることもまた、学びの一環なのだとあらためて感じさせられました。

挨拶・・・

2020年10月9日 08時30分
学校生活

10月7日(水)、中間考査最終日です。1年生は「コミュニケーション英語Ⅰ」「国語総合(現代文)」、2年生は「古典A」「生物基礎」、3年生は「コミュニケーション英語Ⅲ」「地理A」「国語表現」です。

ところで昨日、県庁からお客さんがいらっしゃいました。一通りご助言をいただいた後、校内をご案内しました。放課の時間帯であったせいもあり、何人もの生徒さんと出会いました。

誰もが笑顔で挨拶をしてくれます。勿論普段から「こんにちは」と言ってくれますが、やはり外部の方への挨拶はどことなく、たおやかさを感じます。

初対面の人に、このような挨拶ができる本校生を誇りに思います。

ただ、ふと思ったことですが、これが街中や道ばたとなればどうでしょう。見ず知らずの人に突然笑顔で「こんにちは」と挨拶をしたら、された方も戸惑うことでしょう。

しかも近年の社会風潮として、犯罪防止の観点から、見ず知らずの人とは話さないように保護者や先生から言われている人も少なくないでしょう。

SNSを通じた交友関係の広がりによるトラブルが頻発しています。知らない人との交流は、時に身を危険にさらすことがあります。

みなさんの昨日の挨拶は、その適切な判断力が身についていることの証です。ぜひ、責任ある行動をとることができるようにしてください。

試験最終日です。登校する後ろ姿にエールを送ります。

超能力・・・

2020年10月8日 08時30分
学校生活

10月6日(火)中間考査2日目です。1年生は「国語総合」「数学Ⅰ」、2年生は「現代文B」「コミュニケーション英語Ⅱ」、3年生は「世界史A」「簿記」「生物演習」「数学Ⅱ」です。

テストになると、あるマンガに出ていた教科書の内容を写し取り、食べると暗記できるパンを思い出します。

ところで私が子どもの頃、テレビなどで盛んに「超能力」についての番組が組まれていました。力を入れずに曲がるスプーン、カメラに向かって念じると頭の中の映像が現像される念写などです。

中でも今でも鮮明に記憶している場面があります。ある薬の瓶から触れることなく薬を取り出すことができる能力を持つ人が紹介されます。

カメラは回るのですが、一向に薬は瓶から出てきません。その人は言います。今日は調子が悪いと。

私は超能力を信じます。というより人知の及ばない部分がまだまだこの世に存在していると思います。

ただし、例えば瓶に触れることなく薬を取り出すことができたとしても、状態によって成否が変わってくるのなら、はじめから手を使って蓋を回した方がよいのではないかと思うのです。

誰しも夢があります。しかし、今すぐに叶えられる「超能力」は持ち合わせていません。だからこそ人々は今できることを積み上げていきます。それこそが過去の自分に持ち得なかった「超能力」なのではないでしょうか。

 

一歩ずつ着実に力を身につける姿勢こそが、夢を実現する第一歩です

 

敷地内にたくさんの「曼珠沙華」が咲きます。季節を感じさせてくれます。

生身の人間・・・

2020年10月7日 08時30分
学校行事

先日、『ノッティングヒルの恋人』を観ました。街の本屋さんが映画女優さんと恋をします。レストランで食事中、隣席するグループから彼女の噂話が聞こえてきます。

そのくちさがない内容に男性は「その人も生身の人間だ。相手の気持ちも気遣うべきじゃないかな!」と抗議しました。
私たちが芸能人さんの噂話をすることは珍しいことではありません。特にゴシップ記事となれば、真偽のほどはともかく、話しに花を咲かせます。

ところが私たちはその人物がどのような人か知りません。会ったことや話したことすらありません。切り取られた写真や記事から、その人間像を創り出します。

 

10月2日(金)、1年生がスマホケータイ教室を通信会社の講師の方から受けました。SNS上に流される写真やメッセージが時に人を傷つけます。

それを防ぐことができない人に、スマホやケータイを使う権利はないと伝えられました。

私たちは目の前の相手なら、愛をもって接することができます。

ところがスクリーンや画面、紙面を通すと「生身の人間」ということを忘れてしまい、2次元の世界の創り出されたキャラクターとして扱ってしまうことがあります。

どのような時も相手が自分と同じ世界に住む、血の通った人間であることを忘れてはいけません。自分がそうであるように、その人も幸せになろうと一生懸命生活しているのですから。

そのように思うことができる感性を育ててください。

テスト・・・

2020年10月6日 10時30分
学校生活

10月5日(月)2学期中間考査初日です。1年生は「地学基礎」と「現代社会」、2年生は「日本史B」と「数学A」、3年生は「現代文B」と「教養数学(選択者のみ)」と「化学基礎」です。

 

ところで「test」とは試験や検査、試練などの意味があるそうです(東京書籍『アルファフェイバリット英和辞典第2版』)。

もともとは土製の壺を意味し、金や銀の純度を調べるために用いられていたそうです。派生語には「contest」「protest」などがあるそうです。

前者は接頭語「con(共に)」に「test」で「共に証拠を出し合うこと=コンテスト」、後者は接頭語「pro(前に)」とつながり「証拠を前に出す=抗議する」となります(The English Club H.Pより)。

こうしてみると言葉は変幻自在にその形や意味を変えていくことが分かります。使われていた時代の人々が、どのようなことを考え、どのような生活をしていたのかが、浮かび上がってくるようです。

 

さて、今日から君たちがこれまで学校でどのように過ごしてきたのかが「検査」される3日間が始まります。みなさんにとっては「試練」かもしれません。

ただしそれは「試金石」でもあります。結果の善し悪しに一喜一憂せず、今後どのようにすればよいのかを考えるきっかけにしてください。

 

試験に備えて、勉強する君たちに幸多からんことを祈ります!

 

作り出す力・・・

2020年10月2日 08時30分
学校生活

9月30日(水)、今日は先生方の研修のため、45分の短縮授業です。秋晴れの中、2年生の「情報処理」の授業を見学しました。

この日は、パソコンを使わず、机上で関数の学習をしました。「Rank」「Vlookup」と会社の売上帳を作成する上で必要とされる関数です。

会社では、膨大な製品や商品の原価や売価、売上高に利益率、販売個数などをもとに、経営戦略を練ります。ほとんど全ての企業がこのような管理をパソコン上で行っています。

このようなソフトを専門に扱う人をシステムエンジニアといいます。25年前、私が大学生の頃、指紋認証システムを開発する会社に応募しました。

その頃、たまに耳にする職種でしたが、今では社会になくてはならない職業です。

現在、AI技術の発達による社会環境の急激な変化で、これまでにあった職業は、人から機械にとってかわられるという話を耳にすることがあります。

自動運転が実用化されれば、運転する人はいりませんし、学校だって、先生は必要ないかもしれません。

でも私は思います。人は社会の変化に応じて、必要とされる人や事柄を見つけ、働く場所を創り出すものだと。「生きる力」を身につけましょう。

そのためにも生涯自分で自分自身を磨くことのできる方法を高校にいるうちに育ててください。

 

きれいな青空です。もうすっかり秋ですね。

たがいに素・・・

2020年10月1日 08時30分
学校生活

9月29日(火)、今日は2年生数学Aの授業に参加しました。「たがいに素」という言葉が出てきました。きっと私も学生時代習った言葉なのでしょう、何となく懐かしさを覚えます。

 

2つの数字の最大公約数と最小公倍数を、共通する素数で分解してきます。

共通する素数を掛け合わせたものが最大公約数、全ての素数を掛け合わせたものが最小公倍数、ところが共通する素数が1しかない数字同士があります。

従って最大公約数は1、最小公倍数は互いの数を掛け合わせた大きな数になります。この関係が「たがいに素」なわけです。

 

「たがいに素=共通するところがない」といわれると何となく寂しい気持ちになります。

ところが、数学の参考書に次のようなコラムがありました。アメリカに生息する「素数ゼミ」の話です。

アメリカ南部に生息するセミは13年ごとに羽化します。北部のセミは17年ごとだそうです。「たがいに素」の関係ですから、最小公倍数は13×17=221。

221年に一度しか出会えない南部・北部のセミ同士には大きな隔たりができる一方、同じ周期を持つ仲間とは出会いやすくなります。

長い時間を暗い土の中で過ごし、同じ仲間と一斉に出会うために素数の周期で生きるセミたち――。

広大なアメリカ大陸に暮らすセミたちが、現在まで生き残ってこられた戦略なのでしょう。

 

もしかして「共通するところがない」ということは、「お互いの違いを尊重する」ことにつながるのかもしれません。「共生社会」の入口のような言葉でした。

 

いつの間にか扇風機にいらない気候となりました。

必然と運命と・・・

2020年9月30日 08時30分
学校生活

9月28日(月)、久しぶりに太陽が顔を出しました。爽やかな秋晴れです。今日から2学期中間考査一週間前です。計画的に自らの行動を律してください。

運命、偶然、縁と恋の歌には二人の出会いをこう表現する曲をよく耳にします。しかし私は以前から違和感を抱いていました。

ーーそれは私が大学時代に教えられた「全ての出来事は必然的に起きている」という学問への姿勢です。

 

しかしここには「心」がありません。私が歴史を考える時、事実のみを積み上げ、極力個人の感情を排除します。

例えば長屋王の変を扱うとき、長屋王や吉備内親王の気持ちを取り上げることはありません。

人は自分とその人物に距離があればあるほど、物事を客観視します。教科書や新聞に死者数や感染者数が載せられます。100より1の方がよいと捉えます。

しかし何人であろうが、全ての人々に宝物のような人生があるのです。

長屋王と内親王は運命の出会いを感じ、愛を育んだのかも知れません。私たちは生身の人間です。

必然を「運命」と感じることで、生きるためのパワーがわいてきます。

1人の人生が豊になれば、歴史も華やかになります。相手と私、一人ひとりの心を大切にしましょう。

 

授業前の風景。読書や歓談、気持ちが和む一時です。

 

1年生国語総合では、重松清さんの『バスに乗って』を題材に、少年の心の動きに注目しました。

『正解』は歩み寄りから・・・

2020年9月29日 08時30分
学校行事

9月25日(金)、台風の影響で終日激しい雨が吹き付けるなか、3年生は外部の講師を招いて、面接練習に励みました。

面接の正しい受け答えはどのようにすべきかと考えるあまり、緊張したり、予期せぬ質問に戸惑ったりで、上手く自分を表現できずに、もどかしい思いをもった子もいたでしょう。

 

ところで、先日初めて韓国の方の歌を聴きました。BoAさんの『VALENTI』という曲です。何となくリズムや歌声に感性が刺激されて、じっくりと聞いてしまいました。

 

運命的な恋との出会い、これがそうではないというならば、世界中に愛なんて存在しない、この夢をかなえるために戦う

 

リズムと彼女の歌声、そして歌詞に込められたメッセージに、パワーをもらいました。おそらく韓国語を母国語とする彼女が、

日本語でしかも韓国文化に特別親しみのなかった私の心に、感動を与えてくれました。

 

現在、東アジアの国々と、外交上必ずしも良好な関係を保つことができていないという報道があります。

ところが文化に目を移せば、韓国の方がわざわざ日本語で私たちに歌をとどけてくれます。また本校でも韓国のポップスやアイドルが好きな生徒がたくさんいます。

正解を求め続ける姿勢は尊いものです。そこにはさまざまなアプローチの方法があるのではないでしょうか。

まずは自分や隣人の気持ちを大切にすること。

そこから、少しずつ「正解」が見えてくるのではないでしょうか。