学校生活
10月5日(月)2学期中間考査初日です。1年生は「地学基礎」と「現代社会」、2年生は「日本史B」と「数学A」、3年生は「現代文B」と「教養数学(選択者のみ)」と「化学基礎」です。
ところで「test」とは試験や検査、試練などの意味があるそうです(東京書籍『アルファフェイバリット英和辞典第2版』)。
もともとは土製の壺を意味し、金や銀の純度を調べるために用いられていたそうです。派生語には「contest」「protest」などがあるそうです。
前者は接頭語「con(共に)」に「test」で「共に証拠を出し合うこと=コンテスト」、後者は接頭語「pro(前に)」とつながり「証拠を前に出す=抗議する」となります(The English Club H.Pより)。
こうしてみると言葉は変幻自在にその形や意味を変えていくことが分かります。使われていた時代の人々が、どのようなことを考え、どのような生活をしていたのかが、浮かび上がってくるようです。
さて、今日から君たちがこれまで学校でどのように過ごしてきたのかが「検査」される3日間が始まります。みなさんにとっては「試練」かもしれません。
ただしそれは「試金石」でもあります。結果の善し悪しに一喜一憂せず、今後どのようにすればよいのかを考えるきっかけにしてください。

試験に備えて、勉強する君たちに幸多からんことを祈ります!
学校生活
9月30日(水)、今日は先生方の研修のため、45分の短縮授業です。秋晴れの中、2年生の「情報処理」の授業を見学しました。

この日は、パソコンを使わず、机上で関数の学習をしました。「Rank」「Vlookup」と会社の売上帳を作成する上で必要とされる関数です。
会社では、膨大な製品や商品の原価や売価、売上高に利益率、販売個数などをもとに、経営戦略を練ります。ほとんど全ての企業がこのような管理をパソコン上で行っています。
このようなソフトを専門に扱う人をシステムエンジニアといいます。25年前、私が大学生の頃、指紋認証システムを開発する会社に応募しました。
その頃、たまに耳にする職種でしたが、今では社会になくてはならない職業です。
現在、AI技術の発達による社会環境の急激な変化で、これまでにあった職業は、人から機械にとってかわられるという話を耳にすることがあります。
自動運転が実用化されれば、運転する人はいりませんし、学校だって、先生は必要ないかもしれません。
でも私は思います。人は社会の変化に応じて、必要とされる人や事柄を見つけ、働く場所を創り出すものだと。「生きる力」を身につけましょう。
そのためにも生涯自分で自分自身を磨くことのできる方法を高校にいるうちに育ててください。

きれいな青空です。もうすっかり秋ですね。
学校生活
9月29日(火)、今日は2年生数学Aの授業に参加しました。「たがいに素」という言葉が出てきました。きっと私も学生時代習った言葉なのでしょう、何となく懐かしさを覚えます。
2つの数字の最大公約数と最小公倍数を、共通する素数で分解してきます。
共通する素数を掛け合わせたものが最大公約数、全ての素数を掛け合わせたものが最小公倍数、ところが共通する素数が1しかない数字同士があります。
従って最大公約数は1、最小公倍数は互いの数を掛け合わせた大きな数になります。この関係が「たがいに素」なわけです。
「たがいに素=共通するところがない」といわれると何となく寂しい気持ちになります。
ところが、数学の参考書に次のようなコラムがありました。アメリカに生息する「素数ゼミ」の話です。
アメリカ南部に生息するセミは13年ごとに羽化します。北部のセミは17年ごとだそうです。「たがいに素」の関係ですから、最小公倍数は13×17=221。
221年に一度しか出会えない南部・北部のセミ同士には大きな隔たりができる一方、同じ周期を持つ仲間とは出会いやすくなります。
長い時間を暗い土の中で過ごし、同じ仲間と一斉に出会うために素数の周期で生きるセミたち――。
広大なアメリカ大陸に暮らすセミたちが、現在まで生き残ってこられた戦略なのでしょう。
もしかして「共通するところがない」ということは、「お互いの違いを尊重する」ことにつながるのかもしれません。「共生社会」の入口のような言葉でした。


いつの間にか扇風機にいらない気候となりました。
学校生活
9月28日(月)、久しぶりに太陽が顔を出しました。爽やかな秋晴れです。今日から2学期中間考査一週間前です。計画的に自らの行動を律してください。
運命、偶然、縁と恋の歌には二人の出会いをこう表現する曲をよく耳にします。しかし私は以前から違和感を抱いていました。
ーーそれは私が大学時代に教えられた「全ての出来事は必然的に起きている」という学問への姿勢です。
しかしここには「心」がありません。私が歴史を考える時、事実のみを積み上げ、極力個人の感情を排除します。
例えば長屋王の変を扱うとき、長屋王や吉備内親王の気持ちを取り上げることはありません。
人は自分とその人物に距離があればあるほど、物事を客観視します。教科書や新聞に死者数や感染者数が載せられます。100より1の方がよいと捉えます。
しかし何人であろうが、全ての人々に宝物のような人生があるのです。
長屋王と内親王は運命の出会いを感じ、愛を育んだのかも知れません。私たちは生身の人間です。
必然を「運命」と感じることで、生きるためのパワーがわいてきます。
1人の人生が豊になれば、歴史も華やかになります。相手と私、一人ひとりの心を大切にしましょう。
授業前の風景。読書や歓談、気持ちが和む一時です。

1年生国語総合では、重松清さんの『バスに乗って』を題材に、少年の心の動きに注目しました。
学校行事
9月25日(金)、台風の影響で終日激しい雨が吹き付けるなか、3年生は外部の講師を招いて、面接練習に励みました。
面接の正しい受け答えはどのようにすべきかと考えるあまり、緊張したり、予期せぬ質問に戸惑ったりで、上手く自分を表現できずに、もどかしい思いをもった子もいたでしょう。
ところで、先日初めて韓国の方の歌を聴きました。BoAさんの『VALENTI』という曲です。何となくリズムや歌声に感性が刺激されて、じっくりと聞いてしまいました。
運命的な恋との出会い、これがそうではないというならば、世界中に愛なんて存在しない、この夢をかなえるために戦う
リズムと彼女の歌声、そして歌詞に込められたメッセージに、パワーをもらいました。おそらく韓国語を母国語とする彼女が、
日本語でしかも韓国文化に特別親しみのなかった私の心に、感動を与えてくれました。
現在、東アジアの国々と、外交上必ずしも良好な関係を保つことができていないという報道があります。
ところが文化に目を移せば、韓国の方がわざわざ日本語で私たちに歌をとどけてくれます。また本校でも韓国のポップスやアイドルが好きな生徒がたくさんいます。
正解を求め続ける姿勢は尊いものです。そこにはさまざまなアプローチの方法があるのではないでしょうか。
まずは自分や隣人の気持ちを大切にすること。
そこから、少しずつ「正解」が見えてくるのではないでしょうか。


学校生活
9月24日(木)、本日は台風12号の影響で、45分授業を3校時まで行い、12時前に下校となりました。
急な変更にもかかわらず、新常磐交通さんにバスを都合していただきました。みなさんのご厚意に感謝します。
ところで先日、連休中に街中を歩いていると、信号待ちをしている車にふと目がいきました。東京方面のナンバーです。ところがその右斜め上にシールが貼ってあります。「○○ナンバーですが、○○県在住者です」と。
夏、お盆で帰省中の方の自宅に、張り紙が貼られていたという報道がありました。新型コロナウィルス感染拡大を防止するために、移動の自粛が求められている時期でした。
おそらくその後、同様の混乱を避けようと、開発されたシールだと思われます。ネット上には同じような商品が、500円前後で販売されていました。
ところで今日は1年生「地学基礎」の授業に参加しました。太陽の寿命は100億、現在46億がたち、あと50数億年で膨張し始めるそうです。いずれ地球はそれに飲み込まれる。星にも永遠はありません。
さて、授業中、落とした消しゴムを隣の子が拾ってあげる姿、後ろの席に座る子にプリントを手渡す姿がありました。
言葉がなくとも通じ合う心と行動――。同じ惑星に暮らす人同士、何らかの方法で気持ちを通じ合わせていきたいですね。

学校生活
9月23日(水)、4連休明けで眠そうな顔の子も見られます。今日は1年生の「音楽Ⅰ」の授業を見学しました。井上陽水さんの『少年時代』が題材です。
軽く体をほぐした後、発声練習、そして「歌」の練習です。しかし残念ながら大声で歌うことができません。そこでマスクをつけたまま、ハミングで音程を探ります。
以前は歌詞にこめられた思いを、感情豊に表現できた子もいたのではないでしょうか。それでもみんな音符を頼りに、一生懸命挑みました。
その後、歌詞がどのような情景を表現しようとしているのかを考えます。「風あざみ」「宵かがり」「夢花火」これらは陽水さんの造語だそうです。
これらの言葉から、頭の中に映像を浮かべている様子でした。
先日、何となく昔聞いたSPEEDの『BODY & SOUL』を聞き返してみました。
いい日も悪い日もある、恋に二の足を踏むこともある、成長するにつれ傷つくことも増えてくる、
それでも「同じstepの毎日じゃ、生きてることさえ忘れちゃう、それじゃ張りがない』だから勇気を出そう!
時に音楽は人生を変えてくれます。歌のsoulに耳を傾けてみてはいかがでしょう。

準備体操で体をほぐし、声を出す準備をします。
学校生活
9月18日(金)、3年生「国語表現」の授業に参加しました。先日まで、就職や進学試験のために、面接練習に奮闘している姿が印象的でした。
自分を見つめ直すこと、そして言葉で表現すること、思った以上に大変な作業ですが、何度も練習しましょうね。
今回は、就職するときに課されることもある筆記試験の練習です。漢字の読み方や意味、類似語や反対語など、いろいろなことが試されました。
例えば「陶冶」「婉曲」「嚆矢」「忌憚」、読みと意味とが出題されました。即答できますか?
大人でも意味を正確に説明できる人は少ないかもしれません。ましてや書き取ることができる人がどれほどいるか。
そもそも日常会話へ使う機会は少ない言葉です。しかも他の言葉、もっと簡単で通じやすい言葉があります。ではなぜ知っていた方がよいのでしょうか。
私たちの周りにはたくさんの「無駄」があふれています。なくても生きていくには困らないものたち。
靴の色が赤くても黒くても履ければいいはずです。イモは蒸かせば食べられます。カレーに入れる必要はありません。
でも、好きな色の靴を履くと気分が浮き立ちます。カレーに入ったジャガイモは、フライドポテトとはまた違った趣を示します。
生きていく中で心を豊かにしてくれるものーー。私はそれが「教養」だと思います。試しにたくさん勉強してみてください。何となく胸が一杯になります。


教養は私たちの心と生活に潤いを与えてくれます。
学校生活
9月15日(火)、今日は2年生「保健」の授業に参加しました。テーマは「エイジングと健康」です。「老い」は体のさまざまな機能を衰えさせます。
認知症や骨粗鬆症もその1つです。もちろん老いだけが原因ではありませんが、人生100年時代には、誰もが直面する可能性があります。
時代を感じさせます。高齢社会に関する授業は、家庭科や公民科などでも展開されています。
それぞれの教科がもつ視点・論点から子どもたちが「高齢社会」でいかに充実した生活を送ることができるかを考えさせる内容です。
織田信長が舞ったとされる『敦盛』では「人間50年・・・」と謳われます。昭和の半ば頃までは、定年が55歳でした。それが高齢化時代を迎え、60歳に引き上げられます。最近では65歳まで延長することが求められています。
保健の授業で先生は生徒たちへ伝えます。「老いは機能が衰える反面、経験知が豊富になる」と。
体を健康に保ち、知を豊富にする。それらが積み重なり「徳」が備わっていく。
「知・徳・体」ともに大切に育て、豊かな人生を歩みたいですね。
骨粗鬆症にならないためにどうような生活をすればよいのか。みんなで話し合いました。「運動」「カルシウムやビタミンB」など、予防に努める要素はいくつもありそうです。


学校生活
9月14日(月)、昨日はいわき市議会選挙の投票日でした。またこの日は自由民主党の総裁選挙も行われました。
選挙は民主政治にとって欠くことのできない制度です。
ところで3年生「世界史A」の授業では、本格的にローマ帝国の歴史に踏み込みます。
貴族中心の元老院が執政官を代表に、法律をつくり、国の舵取りをします。リーダーは2名、任期は1年と限られ、独裁者の出現を防ぎます。
さらに平民たちを中心に平民会が組織され、護民官が彼らの意見を代表し、彼らが議決した法律が、元老院の承認を受けずに施行されることもありました。
いつ接しても、2000年以上前に、このような仕組みを作り上げていたことに驚かされます。王政を打破し、貴族による寡頭制から市民の意見をくみ取ることのできる制度ーー。
現在私たちが当然のこととして享受する民主政治の一端が垣間見られます。
このローマの歴史は、教科書ではわずかに数ページを割くのみです。ところが共和政の整備には200年近くの時間がかかっています。その間には、多くの人が血を流す出来事もありました。
遠い未来に生きるのは私たちではありません。私たちにできることは、その未来を創り出すことだけです。
現在(いま)を大切にすることが、未来の人々への優しさです。
