カテゴリ:学校生活

ロードショー・・・

2月2日(火)、節分です。2日となるのは124年ぶりだといいます。季節を分ける日、明日は立春です。

心なしか今日はいつもより暖かい日ですが、まだまだ寒さは続きます。寒暖の差に服装に配慮して、生活してくださいね。

 

寒いとなかなか活動的になれません。とくに今は外出自粛が叫ばれています。私の休日は食料調達以外、もっぱらアパートにこもって読書です。

学校図書館で目についた短編小説を2冊借りるのが、ウィークデーの楽しみ。休日、登場人物たちに、どのような出会い方をするのか、わくわくします。

日曜日の夜、寝る前に読み終えた本に「1,400円」とあるのが、ふと目に入ります。その時、思ったのです。一般的に映画の料金は2,000円弱。

私はこれほど手軽に、映画に勝るとも劣らない時間を過ごすことができたのかと。

月曜日、図書館の司書さんに、返却がてらその気持ちを伝えました。すると「昔は本がエンターテーメントだったんでしょうね!」とのこと。

テレビや映画、ゲームでわくわくする気持ち、読書でも同じなのですね。今は活字離れといわれ、何となく読書がエンターテーメントのカテゴリーでは肩身が狭い。

でも私にとっては、土日の夕方が、二夜連続の「ロードショー」です。

後悔・・・

2月1日(月)、今日から3年生が自宅学習となりました。2年生が実質的に本校の最高学年となります。1年はあっという間に過ぎ去ります。その日その日を懸命に歩んでください。

 

私には大きな後悔はありません。その都度、しようと思ったことは全て実行したからかもしれません。例えば恋の告白。好きになったらすぐに伝えます。

勿論、成就する自信があって行動するのではありません。ふられて恥をかくことは覚悟の上。でも生きているうち、出会いは限られています。後悔だけはしたくないのです。

進路選択もそうでした。子どもの頃から刑事になるのが夢で、小学生から武術に励み、法学部への進学を考えていました。でも高校3年生の時に、歴史と出会いました。

もっと深く勉強したい、究めたい。そう感じるようになりました。大学に落ちること、就職先が見つからなことで浪人して恥ずかしい思いをすることは覚悟の上でした。

 

ただ50歳にして人生を振り返ってみると、この生き方に自信が無い。理由は私の行動に「相手」が見えてなかったからです。

先の展望もないのにいきなり付き合わされた人、教師の使命感も未だ醸成されていないのに、生徒となった人。

彼らがどんな思いだったかを思うと顔から火が出てしまいそうです。これこそが「後悔」かもしれません。

後悔しない人生とは、「相手」にとって良かったのか、悪かったのか、それが分かれ目なのかもしれません。

 

この日、2年生数学Aの授業では、正多面体づくりが行われていました。NHKの有名キャラがやさしく丁寧に、そしてときに「ボーと生きてんじゃねえよ!」と叱咤しながら説明してくれました。

願い・・・

1月29日(金)、3年生学年末考査最終日です。1校時は「地理A」・「フードデザイン」、2校時は自習、3校時は「現代文B」です。

明日から2月25日(木)まで、自宅学習期間となります。残すは卒業式予行と本番の2日間。感無量です。

必死にその日その日にしがみつきながら、ここまで歩んできた君たちの姿、忘れません。

 

もう直接、君たちに話す機会がありません。だからこの場を借りて最後に1つお願いがあります。幸せになってください。

もし私が君たちの親なら、それだけが望みです。隣の人なんか関係ありません。あなたがたがその日その日を楽しそうに過ごしていてくれさえすれば、それで十分です。

だから決して「私なんか」って言わないでくださいね。そんなこと言われたら、悲しい・・・。親には君たちしかいないのだから。

幸せは自分で創り上げるものです。人より成績が良かったり、走るのが速かったりすることで得られるものではありません。

 

あなたたち一人ひとりが思い描く幸せを実現してこそ初めて手に入るもの・・・。オーダーメイドの人生を創り上げていってくださいね。

お世話になりました。私の人生は君たちのお陰で「幸せ」でした。ありがとう。

 

この日、2年生は、終日進路ガイダンスに参加しました。いよいよ君たちの「幸せ」探しが始まるね。

恋文・・・

1月28日(木)、3年生学年末考査3日目です。1校時が「子どもの発達と保育」・「教養数学」、2校時が自習、3校時が「コミュニケーション英語Ⅲ」です。

 

ところでこの日、1年生3校時の国語総合の授業では、『伊勢物語』に載る「筒井筒」の学習が行われました。

まずはあらすじを振り返ります。幼なじみとして育つ男女、成長するにつれ、互いに恋心が芽生えます。

ところが親は反対、それでも二人は想いを通じ合わせようと和歌を贈り合います。

 

男が「筒井筒 井筒にかけしまろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるままに」と贈り、

女は「くらべこし 振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして たれかあぐべき」と返します。

(現代語訳が気になる人は教科書、インターネットでぜひ調べてみて下さい。)

胸がキュンとしますね。私は国語を専門にしませんが、学生時代授業で暗唱させられた覚えがあります

今でも口にすることができますが、あらためて授業に参加し、この歌を味わうことができました。

 

何百年も前の人のよんだ歌です。生活様式や価値観、使う言葉すら違います。ところが人を思う気持ちというのは、時代を超えて共有できるものですね。

 

ところが10代の高校生と50代の大人の感じ方もまた変化する。文学の力にシャッポを脱ぎます。

その感覚を先生は、現代と比較されながら授業を進めておられました。

ちなみに子どもたちによると、今の恋文は「LINE」や「mail」だそうです。

nacoro

1月27日(水)、3年生学年末考査2日目です。1校時に「世界史A」、自習をはさんで3校時に「化学基礎」でした。採点するのが楽しみです。

ところで今日の昼休みに、家庭クラブのみなさんが、被服室で作業をしていました。

例年くぼた校の子どもたちが、近くの大型小売店で販売するために製品作りをします。

 

その作業に本校生徒もお手伝いさせていただき「nacoro」というブランド名で売り出します。

ところが現在、感染症拡大のため、小売店での販売実習が行えません。

そこで今回はカタログによる注文販売という形式にして、学校内に製品が欲しい人がいれば、注文票を両校交流の場所である「nacoro広場」に設置した箱に入れるというものです。

 

その際、なかなか写真だけでは伝わらない商品の魅力を、くぼた校の子たちが写真や動画を交えたPR映像とし、この広場で廊下を行き交う人々に放映します。

本日の家庭クラブが行った活動も、PR動画作成の一環です。

ここでは、他の学校ではできない体験が毎日のように繰り広げられます。私はここでくぼた校や勿来高の子どもたちと共に生活できたことを誇りに思います。

裏の裏の表・・・

1月26日(火)、今日から3年生学年末考査です。1校時「国語表現」、2校時「生活と福祉」・「ファッション造形基礎」、3校時「数学Ⅱ」にそれぞれ挑戦です。

欠席者もなくみんなそろってラストテストのスタートです。

 

ところで先日あるテレビドラマに「辻占」という言葉が出てきました。江戸時代に町の辻に立って占いをすることです。

人々が行き交う街角は、いわば当時のパワースポットです。道祖神が祀られ行き交う人々の安全を見守ります。

ただテレビは現代劇です。確かに昭和50年代頃の古い作品ではありますが、街頭ではなく、レストランでフォーチュンクッキーを食べる場面での台詞です。

 

つまり、この言葉は占いと同様に使っていたと想像できます。

 

さらにこの言葉を調べている内に「口裏」という語句に突きあたりました。この「裏」は「占」が由来だといいます。

意味は『言葉や、話し振りに隠されているもの。(小学館現代国語例解辞典より)』とあります。でも私にはどうしても解せません。

いわば本当にいいたいことや伝えたいことが「裏」であって「表」でないことに。

まあそうかもしれませんね。「占」は、自分が気づかないことを告げてくれます。

ならば「裏」は表現できなかった思いを表すのかもしれません。表なのか裏なのか、「口裏を合わせる」って難しいですね。

この日5時間目に2年生が英語の授業を受けました。辻井伸行さんに関する文章でした。

「心の目」で豊かさを味わう力。だからこそ彼の音曲は裏がないのでしょう。

振り返るな・・・

令和3年1月25日(月)、3学期が始まって2週間、今日は3年生が最後の授業を受けました。

しばらくぶりに文章を書きます。この間、もし前の文章を読み返し、そして行動に移してくれた人がいれば幸いです。言葉は偉大です。でも動かなければ何も変わりませんよ。

 

さて明日から4日間にわたり、3年生の学年末考査が始まります。それが終わると2月1日から自宅学習です。そして3月1日が卒業式。そしてそれぞれの道を歩んでいきます。

私は時々、成長した卒業生と会うことがあります。そんな時、なぜか寂しさを感じます。

私は君たちと接することが仕事であり生きがいです。だから、当時のことがよみがえり懐かしくて仕方がない。いわば過去に生きているからではないでしょう。

ところが卒業した子どもたちは、職場や家庭、恋人やファッションに全力投球です。自分の力で、必死に生きるための空間を創り上げている。

 

いわば今を生き、未来を創造しています。過去は今の自分を創り上げました。でも未来を創り上げるのは、今の自分なのですから。

私は思います。生徒に忘れられる先生になろうと。過去を振り返らず未来に目を向けて、その時を懸命に生きられる、そんな人生を歩んでください。

 3年生6校時最後の授業。君たちに幸おおからんことを祈ります。

視点を変える・・・

12月23日(水)、2学期終業式です。頑張りました!

終業式は放送で行われました。まず理科研究部「蛭田川と四時川(2)河川の比較と自浄作用について」で優良賞を受賞、英語・漢字・数学各検定に合格で呼名されました。

 

続いて校歌が演奏された後、校長先生のお話です。

各クラスの黒板には高級外車の写真が貼られています。2人乗りで1,500万円ほどだそうです。

校長先生は担任の先生を通じて生徒のみなさん全員にクリスマスプレゼントを配ります。ふりかけでした。150袋で税込み2,500円だそうです。

2つを比べてみると、車の方が価値あるように思われます。ところが1グラムあたりの値段を比べると、高級外車は8円ふりかけは11円です。

一見、価値あるモノに見える物事も視点を変えると変化する。つまり人によって価値観は様々だ。

社会にでて、人と衝突することがあったら、ふりかけを見て、相手の気持ちを理解するよう努力して欲しい。そう校長先生は子どもたちへメッセージを送りました。

衝突を繰り返すことでしか価値観の違いは明確になりません。でも衝突はエネルギーがいる、面倒な事柄です。避けて通った方が楽です。

でもね、きっとそれを乗り越えたときに互いの価値観を尊重できる間柄になるはずです。怖いですよね。でも大丈夫です。君たちはひとりじゃありませんから。

ホームルーム教室で行われた終業式の様子。

この日3年生は卒業アルバムに載せるクラスの集合写真を、正門前で撮りました。

本物・・・

12月22日(火)、明日いよいよ2学期終業式です。本日は今年を締めくくる最後の授業の日となります。1年を振り返ってみて、みなさんどのような総括をしますか?

今年は3月から断続的に臨時休校がありました。リズムを崩されてもなお、ここまで学び通した君たちに頭を下げます。

 

ところで最近、デイヴィッド・B・モリスさんの『痛みの文化史』(紀伊國屋書店1998年)を読み始めました。痛みは人や時代、立場や状況によって異なるというものです。

私たちは生物学的にどこかに原因があって、痛みを生じると考えます。

ところがその刺激というか病原が同じであっても人によって感じ方が違うと言うことを、歴史的にひもときます。とても興味深い内容でした。ぜひ読んで欲しいと思います。

その中に次のような文章がありました。痛みを訴えている人に、薬だといって砂糖の塊を飲ませたり、白衣を着た人に診療してもらうと、痛みが治まると。

私にも経験があります。この状況を私たちは「偽薬」「偽医者」と表現しがちです。でも私は著者の文章を読んでいくうちに、こう感じました。痛みが治まったのなら、それは「本物」ではないかと。

君たちにとって「本物」って何だろう?高級ブランドを身につけること、有名企業に就職すること、預金の大きさ・・・。

私はこう思います。「痛くない」「快適」な生活、それをもたらしてくれるヒトやモノが「本物」であると。一生を通じてそれを探してみませんか?

 

この日、1年生は英語の時間に、先生方のことを英語で紹介しました。

きれいにシートへまとめたことを、懸命に覚えてスピーチする姿が印象に残ります。この一瞬の輝きこそが「本物」です。

いるだけで・・・

12月21日(月)、今週水曜日に2学期終業式を迎えます。三年生は社会に出る前の貴重なお休みです。来たるべき見合いに向けていろいろと考える時間にして下さい。

ところで、社会人になってもし会社の同僚から「何かあったらいつでも言ってね。手伝うから。」と言われたらみなさんはどんな気持ちになると思いますか。

相手の思いやりに感動するかもしれませんね。

ところが私は違いました。実は何度かそういう場面に遭遇しました。でもいつも虚しく感じるのです。仕事って明日も明後日もずっと続きます。

悩みやアクシデントって、これからも起き続けるでしょう。でも大人ですから逃げるわけにはいきません。

自分で乗り越えるしか、不安を解消する手段はありません。その時だけ言葉をかけられても・・・と思ってしまいます。

安心感をもって生活できる環境って、きっといつでも、どこかで、誰かが見守ってくれていることだと思います。

確かに同僚の言葉は好意から発せられたものです。でも「その時」「その場」だけのもの。

あなたの存在だけで人はホッとするものです。だから言葉が空回りしないためにも、日々誠実に暮らしましょう。特別な言葉や行動は必要ありません。

「あの人がいつでもいてくれるから」と、思われるような人になって下さいね。

 

この日3年生国語表現の授業では、グループに分かれて「いわき市の魅力を伝えよう」と題し、プレゼンテーションが行われました。

あらためて地元の良さを再発見できたのではないでしょうか。