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今日の勿来高校
留まらず・・・
2月5日(金)、2年生がいわき市高校生就職支援事業の一環である「いわきの“職”体感ツアー」に参加します。四倉にある電子機器部品加工工場と、平にある乳製品製造会社へ向かいました。
新しい生活様式が求められる昨今、情報通信機器の需要は高まることでしょう。反面、時代が変化しても食に対するニーズは常にあります。
また「おうち」需要が高まっていることが報道されています。
美味しいものに、人々の目は注がれます。企業は常に社会状況の変化を敏感につかみ取って、経営方針や技術革新をせまられます。
学校も昨日紹介したように、変化が求められています。
私は思い浮かべます。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。(平家物語)」、
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。(方丈記)」、「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。(奥の細道)」を。
友達との関係、生活環境、何よりも自分の心・・・。上手くいかないと何もかも嫌になることがあります。でもね・・・苦しみや悲しみもまた、いつまでも留まることはありません。
だから今日一日を大切にしてください。今日から明日への旅、君たちの変化につながります。
画面の向こう側を・・・
2月4日(木)、今日は情報処理2時間、数学2時間、合計4時間の授業に参加しました。「黒板にチョーク」という授業スタイルが今は昔の話しに思えます。
情報処理の授業は、2月にひかえた情報処理検定試験合格のため、必死で表計算における処理技能を高めようと、「if」「and」「or」「vlookup」と様々な関数と格闘します。
完成を求められるのは「売上票」や「給与明細表」などです。今や会社にパソコンは不可欠です。
数学では、電子黒板や書画カメラ(手元の物体を壁面に投射するもの)、さらにボイスチェンジャーを使いながら、子どもたちの視覚に訴える授業が行われました。
担当の先生は授業のユニバーサルデザイン化を推進される方です。人はそもそも同じではありません。見え方、とらえ方、処理速度など十人十色です。
数十人が集う教室です。誰もが見やすく聞きやすく、学びやすい環境作りが欠かせません。そのために情報機器が活用されるのです。
学校は大きく様変わりしようとしています。Wi-Fiやタブレット端末の整備が進みつつあります。しかし学び合うのは人間同士です。
パソコンやスマホの画面の向こう側には、生身の人間がいることを片時も忘れないでくださいね。
レリピー♪
2月3日(水)、立春です。いわきは晴れていますが、会津は雪模様。いまだ冬は福島に未練があるようです。
ところで、今日は1年生音楽Ⅰの授業に参加しました。テーマはギター。種類は3つ、クラシック・アコースティック・エレキ。弦の素材が違います。
6つある弦はE(ミ)、B(シ)、G(ソ)、D(レ)、A(ラ)、E(ミ)の音を出します。それらをつま弾くことによって音曲を作り出します。
今日はそれぞれ開放弦(指で押さえないこと)の状態で調律しました。チューナーをギターの先端に取り付け、ペック(糸巻き)をまわしながら音を合わせます。
私は全くギターをいじったことがありません。従って今日の授業で多くのことを学びました。また思いだしたことがあります。
私の兄が高校生の頃、バンドをやっていました。彼の部屋にはエレキやドラムス、ピアノが置かれ、いつもビートルズの曲が流れてきました。
「レリピー、レリピー♪」と歌う私は、兄たちから大笑いされました。正確には「Let it be」。
その頃小学生だった私には、もちろん何を言っているのか分かりませんでしたが「あるがままに」「自分らしく」「素直に」などと訳されるらしいです。
現実や周りの目、世間体や流行など、身動きがとれず、もがき苦しむときがあると思います。そんな時こそ「Let it be」・・・。心との対話が必要ですね。
ロードショー・・・
2月2日(火)、節分です。2日となるのは124年ぶりだといいます。季節を分ける日、明日は立春です。
心なしか今日はいつもより暖かい日ですが、まだまだ寒さは続きます。寒暖の差に服装に配慮して、生活してくださいね。
寒いとなかなか活動的になれません。とくに今は外出自粛が叫ばれています。私の休日は食料調達以外、もっぱらアパートにこもって読書です。
学校図書館で目についた短編小説を2冊借りるのが、ウィークデーの楽しみ。休日、登場人物たちに、どのような出会い方をするのか、わくわくします。
日曜日の夜、寝る前に読み終えた本に「1,400円」とあるのが、ふと目に入ります。その時、思ったのです。一般的に映画の料金は2,000円弱。
私はこれほど手軽に、映画に勝るとも劣らない時間を過ごすことができたのかと。
月曜日、図書館の司書さんに、返却がてらその気持ちを伝えました。すると「昔は本がエンターテーメントだったんでしょうね!」とのこと。
テレビや映画、ゲームでわくわくする気持ち、読書でも同じなのですね。今は活字離れといわれ、何となく読書がエンターテーメントのカテゴリーでは肩身が狭い。
でも私にとっては、土日の夕方が、二夜連続の「ロードショー」です。
後悔・・・
2月1日(月)、今日から3年生が自宅学習となりました。2年生が実質的に本校の最高学年となります。1年はあっという間に過ぎ去ります。その日その日を懸命に歩んでください。
私には大きな後悔はありません。その都度、しようと思ったことは全て実行したからかもしれません。例えば恋の告白。好きになったらすぐに伝えます。
勿論、成就する自信があって行動するのではありません。ふられて恥をかくことは覚悟の上。でも生きているうち、出会いは限られています。後悔だけはしたくないのです。
進路選択もそうでした。子どもの頃から刑事になるのが夢で、小学生から武術に励み、法学部への進学を考えていました。でも高校3年生の時に、歴史と出会いました。
もっと深く勉強したい、究めたい。そう感じるようになりました。大学に落ちること、就職先が見つからなことで浪人して恥ずかしい思いをすることは覚悟の上でした。
ただ50歳にして人生を振り返ってみると、この生き方に自信が無い。理由は私の行動に「相手」が見えてなかったからです。
先の展望もないのにいきなり付き合わされた人、教師の使命感も未だ醸成されていないのに、生徒となった人。
彼らがどんな思いだったかを思うと顔から火が出てしまいそうです。これこそが「後悔」かもしれません。
後悔しない人生とは、「相手」にとって良かったのか、悪かったのか、それが分かれ目なのかもしれません。
この日、2年生数学Aの授業では、正多面体づくりが行われていました。NHKの有名キャラがやさしく丁寧に、そしてときに「ボーと生きてんじゃねえよ!」と叱咤しながら説明してくれました。
願い・・・
1月29日(金)、3年生学年末考査最終日です。1校時は「地理A」・「フードデザイン」、2校時は自習、3校時は「現代文B」です。
明日から2月25日(木)まで、自宅学習期間となります。残すは卒業式予行と本番の2日間。感無量です。
必死にその日その日にしがみつきながら、ここまで歩んできた君たちの姿、忘れません。
もう直接、君たちに話す機会がありません。だからこの場を借りて最後に1つお願いがあります。幸せになってください。
もし私が君たちの親なら、それだけが望みです。隣の人なんか関係ありません。あなたがたがその日その日を楽しそうに過ごしていてくれさえすれば、それで十分です。
だから決して「私なんか」って言わないでくださいね。そんなこと言われたら、悲しい・・・。親には君たちしかいないのだから。
幸せは自分で創り上げるものです。人より成績が良かったり、走るのが速かったりすることで得られるものではありません。
あなたたち一人ひとりが思い描く幸せを実現してこそ初めて手に入るもの・・・。オーダーメイドの人生を創り上げていってくださいね。
お世話になりました。私の人生は君たちのお陰で「幸せ」でした。ありがとう。
この日、2年生は、終日進路ガイダンスに参加しました。いよいよ君たちの「幸せ」探しが始まるね。
恋文・・・
1月28日(木)、3年生学年末考査3日目です。1校時が「子どもの発達と保育」・「教養数学」、2校時が自習、3校時が「コミュニケーション英語Ⅲ」です。
ところでこの日、1年生3校時の国語総合の授業では、『伊勢物語』に載る「筒井筒」の学習が行われました。
まずはあらすじを振り返ります。幼なじみとして育つ男女、成長するにつれ、互いに恋心が芽生えます。
ところが親は反対、それでも二人は想いを通じ合わせようと和歌を贈り合います。
男が「筒井筒 井筒にかけしまろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるままに」と贈り、
女は「くらべこし 振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして たれかあぐべき」と返します。
(現代語訳が気になる人は教科書、インターネットでぜひ調べてみて下さい。)
胸がキュンとしますね。私は国語を専門にしませんが、学生時代授業で暗唱させられた覚えがあります。
今でも口にすることができますが、あらためて授業に参加し、この歌を味わうことができました。
何百年も前の人のよんだ歌です。生活様式や価値観、使う言葉すら違います。ところが人を思う気持ちというのは、時代を超えて共有できるものですね。
ところが10代の高校生と50代の大人の感じ方もまた変化する。文学の力にシャッポを脱ぎます。
その感覚を先生は、現代と比較されながら授業を進めておられました。
ちなみに子どもたちによると、今の恋文は「LINE」や「mail」だそうです。
nacoro
1月27日(水)、3年生学年末考査2日目です。1校時に「世界史A」、自習をはさんで3校時に「化学基礎」でした。採点するのが楽しみです。
ところで今日の昼休みに、家庭クラブのみなさんが、被服室で作業をしていました。
例年くぼた校の子どもたちが、近くの大型小売店で販売するために製品作りをします。
その作業に本校生徒もお手伝いさせていただき「nacoro」というブランド名で売り出します。
ところが現在、感染症拡大のため、小売店での販売実習が行えません。
そこで今回はカタログによる注文販売という形式にして、学校内に製品が欲しい人がいれば、注文票を両校交流の場所である「nacoro広場」に設置した箱に入れるというものです。
その際、なかなか写真だけでは伝わらない商品の魅力を、くぼた校の子たちが写真や動画を交えたPR映像とし、この広場で廊下を行き交う人々に放映します。
本日の家庭クラブが行った活動も、PR動画作成の一環です。
ここでは、他の学校ではできない体験が毎日のように繰り広げられます。私はここでくぼた校や勿来高の子どもたちと共に生活できたことを誇りに思います。
裏の裏の表・・・
1月26日(火)、今日から3年生学年末考査です。1校時「国語表現」、2校時「生活と福祉」・「ファッション造形基礎」、3校時「数学Ⅱ」にそれぞれ挑戦です。
欠席者もなくみんなそろってラストテストのスタートです。
ところで先日あるテレビドラマに「辻占」という言葉が出てきました。江戸時代に町の辻に立って占いをすることです。
人々が行き交う街角は、いわば当時のパワースポットです。道祖神が祀られ行き交う人々の安全を見守ります。
ただテレビは現代劇です。確かに昭和50年代頃の古い作品ではありますが、街頭ではなく、レストランでフォーチュンクッキーを食べる場面での台詞です。
つまり、この言葉は占いと同様に使っていたと想像できます。
さらにこの言葉を調べている内に「口裏」という語句に突きあたりました。この「裏」は「占」が由来だといいます。
意味は『言葉や、話し振りに隠されているもの。(小学館現代国語例解辞典より)』とあります。でも私にはどうしても解せません。
いわば本当にいいたいことや伝えたいことが「裏」であって「表」でないことに。
まあそうかもしれませんね。「占」は、自分が気づかないことを告げてくれます。
ならば「裏」は表現できなかった思いを表すのかもしれません。表なのか裏なのか、「口裏を合わせる」って難しいですね。
この日5時間目に2年生が英語の授業を受けました。辻井伸行さんに関する文章でした。
「心の目」で豊かさを味わう力。だからこそ彼の音曲は裏がないのでしょう。
振り返るな・・・
令和3年1月25日(月)、3学期が始まって2週間、今日は3年生が最後の授業を受けました。
しばらくぶりに文章を書きます。この間、もし前の文章を読み返し、そして行動に移してくれた人がいれば幸いです。言葉は偉大です。でも動かなければ何も変わりませんよ。
さて明日から4日間にわたり、3年生の学年末考査が始まります。それが終わると2月1日から自宅学習です。そして3月1日が卒業式。そしてそれぞれの道を歩んでいきます。
私は時々、成長した卒業生と会うことがあります。そんな時、なぜか寂しさを感じます。
私は君たちと接することが仕事であり生きがいです。だから、当時のことがよみがえり懐かしくて仕方がない。いわば過去に生きているからではないでしょう。
ところが卒業した子どもたちは、職場や家庭、恋人やファッションに全力投球です。自分の力で、必死に生きるための空間を創り上げている。
いわば今を生き、未来を創造しています。過去は今の自分を創り上げました。でも未来を創り上げるのは、今の自分なのですから。
私は思います。生徒に忘れられる先生になろうと。過去を振り返らず未来に目を向けて、その時を懸命に生きられる、そんな人生を歩んでください。
3年生6校時最後の授業。君たちに幸おおからんことを祈ります。