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カテゴリ:学校生活
志・・・
3月16日(火)、久しぶりの学校はいかがですか。昨日は前期試験の合格発表の日。
掲示板を背景に写真を撮ったり、同じ学校の友だちと結果を伝え合ったりと、それぞれ、おもいおもいの姿が目に入りました。
私は日本史のおもしろさを伝えたくて今の仕事に就きました。当時、奈良時代を研究していた私は、教科書だけでは味わうことのできない人々の姿や、出来事の関係性、時代の風のようなものを肌で感じていました。
「決して歴史は暗記科目ではない。生身の人間の営みであり、物語だ」という思いが強くありましたから。それから30年近くが経とうとしています。
ところが私はたまに「つまらない」「面倒くさい」「休みたい」なんて思うことがあります。
平凡な日々に浸かってしまい、はじめに持っていた志のようなものを見失うことがあるからでしょう。
みなさんが高校に入学したとき、どのような気持ちでしたか?多少の違いがあるにせよ、ある志を秘めて入学してきたのではないでしょうか。では今の心持ちは・・・。
学校というところには、自分の夢をかなえるチャンスがあちらこちらにころがっています。平凡な毎日を送っていると「後でいいや」とやり過ごしてしまいます。
そしていつの間にか日常に埋もれて見えなくなってしまう・・・。
時々思いだしてくださいね、入った頃の志(こころざし)を。
1年生「地学基礎」の最後の授業です。生物の進化の視点から、映画を観賞しました。
未来を大切に・・・
3月11日(木)、東日本大震災から10年が経ちました。私はその時、浜通りに暮らしていませんでした。またこちらに知己も親戚もいません。
そのような私が、どのような形であれ、この未曾有の大震災を語る資格はありません。当時みなさんは小学生だったのでしょうか。どれほど心細い思いをしたことでしょうか・・・。
私は埼玉県で生まれ育ちました。関東大震災の影響もあり、物心ついた頃から「いつか大きな地震が起きる」と言われてきました。
また実際に有感地震が頻繁にありましたので、それほど大きくない地震に対して驚くことすらありませんでした。心のどこかに「きっと大丈夫」という甘えがあったことでしょう。
ところが、震災当時私が暮らす会津ですら、立っていることができないほどの揺れがありました。
地割れした道路、傾いた家屋、断水など「まさか」とおもうようなことを経験したのです。
「きっと」「まさか」と油断することなく生活していってください。君たちの未来は何よりも尊い宝物なのだから。
蓄積・・・
3月10日(水)、昨夜本校の警備員さんから、火力発電所近くで河津桜が咲きほこっているから見てくるといいよ、と声をかけてもらいました。
河津桜とは、1972年に静岡県河津町で発見された2月上旬から咲き始める早咲きの桜だということです(河津町観光協会ホームページを参考にさせていただきました)。
桜の盛りは10日から2週間程度。一斉に花を開かせ、一斉に舞い散る・・・。その華麗さや儚さが詠われることもあるほどです。
ところで以前、若松商業高校に勤務している頃、校長先生が折に触れ、桜の強さを子どもたちに話していたことを思い出します。
短期間に咲きほこる桜、それ以外の長い長い月日をかけて、懸命に、じっくりと、ひそやかに、エネルギーを蓄えます。そしてそのパワーを春一斉に解き放つのです。
僕たちの一日は平凡です。でもその誠実な生活の積み重ねが、「満面の笑み」をもたらします。それを楽しみに今日も歩こうと思います。
学校にいきづく木々たちも、蓄えたエネルギーを蕾みに結集しつつあります。
弁当・・・
3月9日(火)、今週は50分授業です。昼休みは12時45分から・・・。午前中にはすでにお腹の虫が鳴いたりしませんか。
人によっては休み時間にお菓子を食べたり、お弁当を少しつまんだりと工夫している人もいるでしょう。
私の通った高校にはいわゆる学食がありました。ただ1度しか利用した記憶がありません。
そもそも好き嫌いが激しかったし、混んでいたから、時間がかかって昼休みが短くなることが嫌だったのかもしれません。いつも弁当を持って行きました。
ところで弁当とはそもそも「都合のよいこと」という意味の中国語だったようです。
農作業や戦いのため、そとで食事をとらざるを得ない場合、都合のよいときに都合のよい場所で食事がとれるように、箱に入れたのがきっかけなのかと想像します。
言うなれば私のそれは語源にぴったりでした。弁当箱を開けば、米と肉しか入っていないのですから。
みなさんにとっての「弁当」とは何ですか?手作り弁当、購買部のお弁当やパン、コンビニおにぎりやスナック菓子・・・。きっとどれをとっても懐かしい思い出になるはずです。
じんかん・・・
3月8日(月)、久しぶりの学校でしたね。何をして過ごしましたか?みなさんに会えない日は、自分が1日何をして生きていたのか、実感がわかないことがあります。
きっとみなさんと関わることが生きている証なのでしょう。
ところで先日、今村翔吾さん『じんかん』を読みました。松永弾正少弼を描いた作品です。
主家三好家を滅ぼし、将軍を惨殺、東大寺大仏殿を焼き討ちした「悪人」として知られています。ところがこの作品は、久秀の内面からそれらの事柄に迫ったものでした。
世の中にはあらがうことのできない大きな流れのようなものがあって、人は善でありたいと行動しつつも、異なる評価や結果をもたらす。
何のために生まれてきたのか?そう問いかけられた作品でした。
壮大なテーマです。私には容易に答えが出ません。ただ自分なりに考えることは、幸せになるために僕たちは生きているということ。
勿論、僕たちは生まれや育ちを選択できません。それでもなお自分が輝くことのできる生き方を模索します。それが「幸せ」なのではないかかと思います。
1年生は体育でサッカーを、2年生は音楽でギターを学びます。「人」の「間」をボールや音がとびかうことで、何かが生み出されているかのようでした。