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カテゴリ:学校生活
姿と目・・・
12月17日(木)、昨日放課後、今年最後の駅前清掃ボランティアが行われました。通称「関の子ボランティア」です。
地域の方々が勿来駅前の環境整備に活動されており、そのお手伝いを毎週水曜日にさせていただいています。
昨日の参加者は生徒会の生徒を中心に6名でした。また同じ活動をくぼた校の生徒も行っています。こちらは15名が参加しました。
勿来高校の子どもたちはトイレを、くぼた校の子どもたちは駅周辺のゴミ拾いを担当しました。
この日はこの冬初めての寒波に見舞われたため、寒風吹きすさぶ中、冷たい水に手をぬらし懸命に励む姿が痛々しくもありました。
おそらくトイレは明日には再び汚れます。次の日にはゴミもきっと落ちているでしょう。では君たちの努力は虚しいものなのか?違います!
駅前の関の子広場で毎日子どもたちを見守ってくれる地域の人々の姿、毎週トイレを掃除する高校生の姿、
周辺のゴミを拾うことで清潔に保とうとする子どもたちの姿。駅を使う人々の目、
彼らを迎えに来る人々の目、周辺に住む人々の目。
目に映る姿が胸の奥底に刻まれ、いつしか彼の地の風景を変えていきます。歴史はこうして創られるのです。君たちのこの日の活動は、間違いなく歴史に刻まれます。
重い想い・・・
12月16日(水)、今日は3年生「生活と福祉」の授業で、日本年金機構の方より年金セミナーが行われました。
人口構成の変化にともない社会保障制度が不安視される中、未来を創るみなさんにとって有益な時間であったことを望みます。
ところで先日、3年生が福島県警に合格しました。この生徒は浜通りで暮らしていましたが、10年前に起きた東日本大震災のため会津での生活を余儀なくされます。
見知らぬ土地で、地震の衝撃と将来への不安を抱えながら、中学校生活を送ります。そして、勿来高校へ入学しました。
2年生の時、進路について思い悩んでいた姿を思い出します。
震災時にみんなの力になってくれた警察官になって、自分も人の役に立つ仕事をしたい。
でも本当にそれでいいのだろうか。この仕事は強い精神力が求められる。自分にできるのだろうか。採用試験だって難しい。
自分の学力で合格できるのだろうか。涙を流しながら悩んだこともありました。
それでもこの子は決心します。警察官になろうと。問題集に向き合いました。眠い目をこすって授業に参加しました。
周りのみんなが就職を決め、ホッと一息ついている姿を横目にしつつ、踏ん張りました。
わずか17歳の子が、これほどの重い想いを秘めて築き上げてきた道ーー。
私たち大人は、もっと一人ひとりの子どもたちの来し方行く末に真摯に向き合わなければならないことを改めて教えてくれました。合格おめでとう。
65歳の方の平均余命から考えると、月25万円程度、全部で6000万円のお金がかかるそうです。年金はその時の生活費を補うものです。
子どもたちはライフサイクルを考えながら話しに耳を傾けていました。
コントロール・・・
12月15日(火)、今日は中庭の池が凍るほど寒い朝でした。来週まで学校は続きます。温かくしてすごして下さい。
期末考査後、本格的に授業が始まり、私も毎日「楽しい授業」にするにはどうすればよいのか考えます。私は歴史を担当しています。君たちに伝えたいことは山ほどあります。
ところが君たちが求めているものとは違う場合が多々ある。教科書のフランス革命の項目にマリーアントワネットは出てきますが、彼女の暮らしぶりや当時のゴシップなどは蚊帳の外。
でも先日それを授業で話したら、いつもは眠たそうな瞳が、多少見開かれていたように感じました。
ところで私は野球をやっていました。コントロールをよくするために、家の塀相手によく1人でボール投げをしていました。
その甲斐あって、チームメイトとの練習も人並みに投げることができるようになりました。でも、それって本当に自分の実力だったのかと疑問に思います。
よく考えてみると、相手が胸の前でボールをしっかりキャッチしてくれたから、結果的にそれがストライクになっただけのことではないか。
きっと授業も同じなのだと私は思います。みんなが受け止めてくれることが、成否を分けます。さらにその内容がみんなの求めるものかどうか。
そこを今後とも胸の真ん中に据えながら授業をしていきたいと思います。
この日は、1年生「数学Ⅰ」の授業に参加しました。テーマは余弦定理。先生も子どもたちもストライク目指して取り組んでいました。
10年残る仕事・・・
12月11日(金)、教師としてあと何回このような体験ができるであろうか?
今日、3年生美術選択者が、勿来の関近くにある「交流スペース勿来」に壁画を描かせてもらいにいきました。
数ヶ月前、当施設の方から校舎を共にするくぼた校へ提案がありました。
そこで、一緒にやろうではないかと、本校美術班にくぼた校の分校長先生からお声がけいただきました。
本校の美術講座は今年度で終わります。私たちは勢い立ちました。
ほとんどの子どもたちが地元に就職します。もし作品が良いものであれば、将来自分の家族を連れて見に行くことができる。
「あれ、お母さんたちが描いたんだよ」と言って・・・。
全員でデザイン画を描き、そこから2人の少女が描く作品を選びました。この一年、誰もが個性的な創作活動をしてきました。
中でも彼女たちの作品は秀逸です。しかし教室の黒板ほどもある壁面に思い通りの絵が描けるのか、当日朝、不安の表情が浮かびます。
いざ「キャンバス」に立ち向かいます。彼女たちに何かが降りてきたように、下絵なしでぐんぐんと筆を運んでいきます。
しかも他の子どもたちへ色づくりやペイントを指示しながら。
実は私も不安でした。もし適当なものになってしまったら、きっと後には残らないであろうと。しかしそれは杞憂に終わりました。
14:00完成です。あのちっぽけな画用紙に描かれた作品が、コンクリートの巨大な壁面に再現されていたからです。
声をかけてくれたくぼた校の先生方、それに応えて10年残る仕事に立ち向かった子どもたち。
私はこのような1日が生きている間に何度訪れるのかと感じるほど素晴らしいものでした。
朝と新鮮・・・
12月8日(火)、今日は朝のSHRで朝食に関するアンケートをとりました。どれくらいの子たちが朝食を楽しんでいることでしょうか。私は毎朝バナナを食べます。
昨日購入したバナナ、とてもはりがあって新鮮だと思いました。ひとり暮らしの私にとって、一房のバナナ、週末には残念なぐらい生気を失います。
でもふと思ったことがあります。「新鮮」って何だろうと。
庭の畑で採れたトマトを朝食で食べる。これは新鮮です。朝採れたレタスが八百屋さんの店先に並べられる。まあこれも新鮮でしょう。
ところが昨日買ったばかりのバナナを食べる。これは新鮮なのでしょうか。私が購入するものはほぼ東南アジアか南米産です。少なくとも数日前に収穫されたものになります。
業者の方々は様々な努力をされていると聞きます。まだ未成熟なうちに収穫、
追熟のため適度なエチレンガスを与えて、私たちの食卓にのぼる頃、食べ頃になるように保管されているそうです(Dollさんのホームページを参考にしました)。
さて私は毎朝、子どもたちの接します。それぞれの表情と足どりです。良いことなのか悪いことなのか、何があったのかは分かりません。
でも1つ言えることは、昨日とは違うということ・・・。
「新鮮」とは「今までのものとは違って新しいこと」「新しくてよごれていないこと」(学習研究社『漢字源改訂第四版』2007年より)とあります。
いろいろなことがあるでしょう。でも必ず明日はやって来ます。
次の日迎えた朝の自分は「新鮮」。そのことを心に抱き今その時を充実させましょう。
玄関脇に息づく植物たち。この日の朝も昨日とは違う顔を見せてくれました。日々これ新鮮かな。